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書評「天冥の標」小川一水

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天冥の標第Ⅹ巻『青葉よ、豊かなれ』Part1-3表紙

メニー・メニー・シープという人類の箱舟を舞台にした、《救世群》たちとアウレーリア一統の末裔、そして機械じかけの子息たちの物語は、ここに大円談を迎える。羊と猿と百掬の銀河の彼方より伝わる因縁、人類史上最悪の宿怨を乗り越え、かろうじて新世界ハーブCより再興した地で、絶望的なジャイアント・アークの下、ヒトであるヒトとないヒトとともに私たちは願う、青葉よ、豊かなれと。

天冥の標10巻・17冊、ついに完結

まず初めに釈明を。

Q.何でこのブログ経営っぽいことと小説っぽいことが混ざってるの? 

A.私が経営っぽいことと小説っぽいことの両方が好きだからです。

Q.なんでタイトルは経営系?

A.小説っぽいことはたまにどうしても書きたくなった時に書くだけで、メインは経営系でいこうかなと思ったからです。

Q.たまにどうしても書きたくなった時ってどんな時?

A.天冥の標最終巻を読破した時とかです。

以上、前置き終わり。

(2020年現在、経営系は大したこと書いてないなと思ってお蔵入りしました。この記事は、今でも同じ感想になります。 天冥最高。)

書籍詳細

 「天冥の標」、小川一水著、ハヤカワ文庫出版。表紙イラストは富安健一郎氏。編集は塩澤快浩氏。

小川一水さんは客観的にはハヤカワSFが誇るこの時代の和製SF作家四天王に入る方です。ハヤカワSFコンテストのページ曰く、伊藤計劃円城塔冲方丁小川一水

www.hayakawa-online.co.jp

とはいえ森岡浩之氏とか飛浩隆氏とか超有名所のSF作家さんは他にもいるので、これは単純に書いた人の好みかなとも思います。でもなんか、好きな作家さんがそういう所で名前挙がってるとちょっと嬉しいですね。

で、主観的には小川一水先生は世界で一番好きなSF作家です。ハインライン御大、J・P・モーガン氏辺りが個人的に大好きなSF作家さんの最高峰で、小川先生はその中の一番です。

そういう風に断言できるようになったのは紛れもなく天冥のお陰で、そしてもちろん最終巻が文句なしの大傑作だったからでもあります。

富安氏は、あまりSFの表紙絵を気にしたことのない私でもすげえと思わず声を漏らしてしまうほどの圧巻のクオリティを視覚に叩きつける天賦の才を持ったお方です。ことに、このページのトップに貼ってあるⅩ巻Part1-3の屏風絵の如き連結イラストは、作中の極めて壮大なスケール感を圧倒的に表現し尽くした最高の代物でした。Twitterでも読者の皆様大絶賛。

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小川一水先生Twitterより 『天冥の標』表紙一覧

塩澤快浩氏は正真正銘名前まで含めて初めて大好きになった「編集者」の方でした。まぁ結構あとがきなんかで編集さんとのやり取りが出てきたりして、仲良いんだろうなぁってほのぼのしたりすることはありますし、電撃出身の三木氏みたいな有名人もいたりしますが。それでもやっぱり、読者にとって編集者さんというのはちょっと遠い存在だと思います。思ってました、塩澤さんを見るまでは。

詳しくは「#天冥名セリフ」タグや、その他Twitter等での素晴らしい活動をご参照下さい。一言で言うと、Twitterで読者投稿型の名セリフ推薦大会やって、そこから最終巻三冊の帯に大量採用されたんですよ。私の推薦した台詞も、全部で十個くらいかな? 採用されててとても嬉しかったです。勿論他の方も挙げていたりしたので、誰のツイートから採用されたのかまではわかりませんが。とにかく嬉しい。

Twitterでのツイートの一つ一つが天冥愛に溢れていて、こんな編集さんがいたら本当に幸せだろうなと思います。というかまず、読者が幸せでした。こちらもTwitterで大人気。

その他、印象的だとファンに人気の書店販売時の帯はブックデザイナーの岩郷重力氏が手掛けたものだとか。『#天冥名セリフ』イベントの際にはこちらの謳い文句を推薦する声もありました。

最終巻のあとがきにて小川先生がおっしゃっていたように、まだまだ他にも名前を知らない多くの関係者の方の尽力によって天冥の標は世に送り出されてきたのだと思います。一人残らず全員に、心の底からの感謝を。

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早川書房編集部、溝口力丸@marumizog氏Twitterより Ⅵ巻までの帯一覧

あらすじ

メニー・メニー・シープという人類の箱舟を舞台にした、《救世群》たちとアウレーリア一統の末裔、そして機械じかけの子息たちの物語は、ここに大円談を迎える。羊と猿と百掬の銀河の彼方より伝わる因縁、人類史上最悪の宿怨を乗り越え、かろうじて新世界ハーブCより再興した地で、絶望的なジャイアント・アークの下、ヒトであるヒトとないヒトとともに私たちは願う、青葉よ、豊かなれと。

天冥の標10巻・17冊、ついに完結

 これはⅩ巻Part3、つまり最終巻の裏表紙のあらすじですが、ここにはⅠ巻~Ⅹ巻までの全ての巻のタイトルが順番通りにすべて入っています。このあらすじを読んだだけで感動した読者も少なからず、私もそうです。

これだけでは未読の方には伝わらないと思うので、さらに引用。

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朝日新聞書評欄より 前島賢氏著

こちら、2月23日の最終巻発売日翌日に掲載された朝日新聞の書評記事です。Twitterで検索すると思わず撮られた紙媒体の写真も。正直、これを見て朝日新聞の好感度がハネ上がりました。副作用です。

そう、SF満漢全席。

天冥の標という作品を表すのに、これほど相応しい言葉もそうはないでしょう。SFというジャンルが内包しているすべてのもの。すなわちハードにソフト、SFガジェット、純粋物理学、倫理哲学、宇宙論、ヒトとは何か、生命とは、人種差別問題、戦争問題、パンデミック、隔離的環境、AIの自我、生物多様性、意識の在り処、少年的な息も吐かせぬ胸躍る冒険、少女的な甘く切ない恋愛の機微、大人の厳しく苦しく逞しい社会的努力、その他のあらゆるものと、そしてセックス――他者と関わる、ということ。

そのすべてが、天冥の標には詰まっています。もっと簡単に言うなら、

Ⅰ巻はオーソドックスな惑星入植後世界の動乱。

Ⅱ巻は現代舞台の世界的パンデミック事件。

Ⅲ巻は宇宙時代の、胸躍る冒険と戦いのスペクタクル。

Ⅳ巻はセックスと性哲学と性愛を歴史上最も深く探究する、思考探究の物語。

Ⅴ巻は農業と宇宙海賊の忘れ形見な冒険譚と、6000万歳の情報生命の半生。

Ⅵ巻はボーイミーツガールに始まり、太陽系文明すべてを呪う絶望の行く末。

Ⅶ巻は子供と機械だけで、人類文明すべてを存続させる、地獄の果てに掴み取るもの。

Ⅷ巻はⅠ巻にて秘されてきた、始まりにして終わりの世界の秘密を物語る解明編。

Ⅸ巻は秘密よりもなお深い、異なる他者を知るための旅。

Ⅹ巻は宇宙の数え切れない諸族と共に、さらに先の光景を見るための終着地。

……後半にかけて感情があふれまくっていますが、これはかなりわかりやすく書いた形だと思います。多分未読の時に自分がこれを読んだら、多少なりとも読みたくなる、はず。十年がかりの大作で、しかもきっちり最後まで、決して尻すぼみや迷走することもなく仕上げてありますからね。神の御業――と言いたくもなりますが、違います。最終巻のあとがきにあったように、これは数多くの関係者の方々と小川先生の血と汗と魂を削るような努力の末に生まれた大傑作です。全知全能の神様が、片手間に創った代物なんかじゃ断じてありません。だからこそ素晴らしいんです。

極めて個人的にですが、これはⅠ巻、Ⅱ巻、Ⅲ巻、Ⅳ巻、Ⅴ巻、Ⅵ巻、Ⅶ巻、のうちどれか、つまりⅧ~Ⅹ(8~10)巻を除くどこから読み始めてもいいシリーズだと思っています。

なんせ、かくいう私もⅣ巻→Ⅰ巻の順で読み始めました。多分日本に私だけじゃないでしょうか、そんなアホな読み方したの。elonaスレで「Ⅳ巻めっちゃエロいよ! えっちなアンドロイドだよ! 凄いよ!」と勧められて興味を持ったのがきっかけだったせいですが、結果的にはドハマりして現在に至ります。

要するに天冥って「あらゆるSFの魅力がそれぞれ詰まった重箱」なので、まずは食べたい物から味見してみてもいいんですよ。1~7巻までなら主要キャラはわりと初登場なので、さほど読んでて困ることもありません。上の巻ごとの一行あらすじで「あ、自分の好きなジャンルだな」と思った巻からつまみ食いして、それから全部読むのは全然アリだと思ってます。

というか、天冥って先に進めば進むほど面白くなるシリーズだって言われることもあるぐらいで。それはもちろん過去の積み重ねがありつつ、小川先生の筆力の上限なき向上もあるからなのでしょうが、良くも悪くも「Ⅰ巻初読がシリーズ一番の感動」って作品ではありません。まぁシリーズ物でそういう作品はまずありませんし、Ⅰ巻に撒かれた伏線の量は無限大なので後から百回ぐらい読み返せます。読み返せますが、それはあくまでシリーズ全部にハマったからこそ味わえる楽しみで。

だから私は、「自分の好きな所から入っていいんだよ」と言いたい派です。スターウォーズどれから観る論争とかFateどれからやる論争とかにおける異端者の立ち位置、とにかくまずは好きになれ! それ以外は全部それからだ!派閥です。

色んな所で言ってますが、天冥のメインテーマって『多様性の肯定』なんですよ。あらゆるものを、ありのままに。だから、そういうぶっ飛んだ読み方もある意味天冥への触れ方としては「らし」くてアリなんじゃないかな? と思います。

この作品のここが最高!

何故か以前の書評には一番下に批評というわけのわからない偉そうな項目がありました。多分思春期特有の若気の至りだと思います。消します。消して、どうせ大好きな作品にしか書かない書評らしく自分の好きなだけ作品を褒め称える項目を代わりに入れておきます。

構成力

まずは、とにかく構成力が凄い。十年ですよ? 十年かけて十七冊書いて、それでまず話を破綻させないだけでも超人的な構成維持力です。普通の人間ならあれ十年前何考えてこれ書いてたんだっけって忘れます。

その上、上記のようにあらゆるジャンルが一シリーズに纏め上げられているわけですから、変わる変わる別作品を書きながら全体すべての統制を取っていたようなものです。

しかも。時間的なギミック、空間的なギミック、人間関係的なギミック、SF技術的なギミック。読者を騙し欺き「そんなまさか!」とあっと驚かせる仕掛けが天冥には縦横無尽に、シリーズ全体に張り巡らせてあります。

伏線回収のスケールの壮大さ、緻密さ、質と量。それらの総合において天冥以上の作品を私は知りません。例えば緻密さにおいてなら極めて高度なミステリ作品が競合となりますが……さすがに、6000万年スケールで語られるトリックは、推理小説と呼んだらノックスやヴァン・ダインに叱られてしまうでしょう。SFの特権ですね。

キャラクター(人物造形)

イサリちゃん可愛い。

SF史上最も可愛いヒロインだと勝手に思ってます。これは流石に、ライトノベルの執筆経験がある小川先生のキャラ造型が私の趣味にぶっ刺さった側面が大きいですが。古典SFの偉人達の、例えば夏への扉のリッキィとかもすごい可愛いです。とはいえ現代日本人の若者的感性とやらをスナイプされてはそれ以上に堪らない、といったところで。

最後だから言いますが、脳内ではずっとFateイリヤのイメージで読んでました。いや、公式には褐色肌で頬に冥王班ありますし、強いて言えばむしろクロエ寄りで全然違うんですが。まぁでも小説における視覚的イメージってとにかく没入できる形であることが大事だというのが個人的主義です。横溝正史御大の八つ墓村の典子とか想像力の限界まで可愛く想像して読みましたしね。おっと横道。

何はともあれ、とにかくキャラもそれぞれ臨界まで魅力的と言っていいと思います。1巻から登場し、7巻以降の主要キャラでもあるカドム、イサリ、アクリラの三人の絆はもちろんのこと。三桁を超えるキャラクターが登場しながら、魅力的なキャラを挙げていけば尽きることがありません。

寛容ですべてを包み込むような心と大して強くもない身体の医師がいれば、可愛らしくも成長を続け願いを背負う強靭な甲殻少女もいる。勇気と好奇心で陽気に戦う《酸素いらず(アンチ・オックス》がいれば、人に尽くし愛を謳いながら自己を問う《恋人たち(ラバーズ)》がいる。宇宙を渡り6000万年を生きた胡散臭くて人間的な情報生命体もいれば、匂いその他で共意識を形成して個と群体で生きる、綺麗で根性のある小さくて大きな異星生命体もいる。何もかもを失い世界と病を敵に回し、それでも立ち上がった最初の女の子がいれば、最狂にして最強の復讐鬼となった誰かの妹もいる。

あらゆる人々の人生が、そこには描かれています。多様性を奉じる小川先生のやり方として、誰一人として手を抜かれることなく。おそらく作中で描かれていない、一度出たきりのキャラクターの人生さえ、小川先生の中にはきちんと用意されているのではないでしょうか。

物語性

もう単純にすごくすごく面白いです。

メッセージ性とか小難しいこと考えず、SF趣味とか一切理解できず、エロは苦手で複雑な概念はよくわからない――という人にも勧めたいほど、面白いです。

むしろ物語部分が面白くてハマって、そういう諸々の要素に後から目覚めていく、ということが十分起こり得る作品だとも。大抵、「最初の一作」がありますからね、何らかの趣味に目覚めるには。天冥はその「最初の一作」になり得るに足る作品です。もしハマったのなら、間違いなく。

エンターティメントにおいてはエログロナンセンスや起承転結序破急などなど色んな公理が提唱されていますが、多分大体満たしてるんじゃないかなと。溜めて溜めて一気に解放のカタルシス! とか本当の本当に絶望のドン底まで落としてからの……とか。期待に応えて予想を裏切る、とか。

本当に、何もかも大満足のストーリーでした。

テーマ(メッセージ性)

これについては、好む人とそうでない人がいるかもしれません。「娯楽にメッセージ性なんて求めない」、という意見にも一つの理がありますし、「作品の面白さと主義信条は別物だ」、ということもままあることです。

けれど本当に優れた作品は、望むと望まざるとに関わらずメッセージ性を獲得してしまうものだと思います。何故なら、人の心を動かしてしまうから。感動したら、作者が何かを想っても想わなくても、人はそこから何かを受け取ってしまうものだと思います。

そしてこの作品からは、(SFの全部が詰まっているので)本当にたくさんのことを読み取り、受け取ることができます。人類の未来を夢見ることも、誰かとセックスしたいなぁと思うことも、侵略的拡大戦略の強大さに感服することもできるでしょう。

とはいえ一番の主題は、やはり上に挙げたように『多様性の肯定』だと思います。『生命の肯定』、という風に表現した読者の方もおられました。あらゆる生き方、価値観、在り方、戦い方、考え方、それらすべてを肯定する。消極的な受け入れというよりも、積極的に素晴らしいものなのだと讃える。そういう精神が、この作品からは伝わってきます。

私が全面的に天冥の標という作品を愛しているのも、この『多様性の肯定』が自分の思想とすっかり合致していたという部分が小さくないとも思います。グローバル化や性的、思想的、人種的その他のダイバーシティの肯定が叫ばれるこの時代。それが本来いかに難しく、困難を伴い、けれどそれでもなお成し遂げる価値のある行為であるか。それが、本作ではヒトの表現できる限界まで、いや限界を超えて詰め込まれています。 

 読了感想

『天冥の標』出版に携わったすべての関係者の皆様、本当にありがとうございました。

まずは、とにかくそれですね。塩澤さんも引用されていた、おそらく現時点で一番有名な天冥の感想記事(管理人さんは天冥完結後の小川先生対談会で聞き役も務めるすごい方)のおっしゃる通りです。

huyukiitoichi.hatenadiary.jp

 人生で何度か、一生忘れられないレベルの傑作を読み終えた(やり終えた)後に、そういうことはありました。感謝の言葉しか出てきません。「お前はこれを読むために生まれてきたんだ」と言われても、なるほどそりゃ産まれる価値があったわ、むしろお釣りがくるよと思うほど。しかもそれが複数あるというのですから、なんかもう人生って素晴らしいですね。産み落としてくれた父母とすべての祖先に感謝したくなります。

この作品が始まったのは十年前。私がこの作品に出会ったのは数年前でした。後半からではありましたが、リアルタイムで作品を追えたことは非常に大きな喜びでした。このエントリでも端々で作品外のファンや関係者様の動向について記していますが、それは書き残して記録する価値のあることだったと思うからです。

いつかこの記事を読んで天冥の標を読み始めたり、天冥の標を読み終えた後にこれを読んで「ああ当時はこんなことがあったんだ」と感慨に耽ったりしてくれる読者がいたなら、同じものを愛する読者としてこんなに嬉しいことはありません。読後の感動をこうして言葉にするだけでも100%の楽しさと嬉しさがあるのですから、それはもうたった一人いただけでも100%超えの喜びです。

そして、けれど。きっと誰もがこの物語を、私と同じように感じるわけではないのだろう、とも思います。アマゾンレビューで★1をつける方もいる。それは、決して間違いなどではないのです。その価値観を、肯定があれば否定もあるという多様性そのものを肯定することが、この作品の本質なのだろうと、私は思います。

だから、あなたも触れてみて下さい。

天冥の標という、一つの物語を。

この苦しい旅路に飽きず、さらに先の光景を見たいと願ってくれるのならば。

おめでとう。もう、やめていいのです。あなたは。
――この苦しい旅路に飽きて、さらに先の光景を見たいのでなければ。
第Ⅹ巻『青葉よ、豊かなれ』369ページ 拡散時代(バルサム・エイジ)を前に 小川一水
#天冥名セリフ

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*1:画像は先端@tip_of_pole氏Twitterより引用